音を語る以前の、あまりにしょうもない騒ぎについて
- 2026/1/11
- 雑記
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新年早々起こった、ケーブル逆挿しに端を発する騒動について。
間違いを指摘されたのなら、まずは正直に誤りを認める。それは趣味以前に、一人の大人として人から信頼される人間として生きたいのであれば当然持つべき品位です。
そのうえで素直に訂正して謝罪したら、もう誰が何を言おうと自身からはこのことには一切触れないようにするべきでしょう。なまじ言葉を重ね言い訳を繰り返すほど自身の品を落とし、積み上げてきたはずの言葉の価値を損なうことになります。そのダサさに無自覚であることは、とても残念なことです。
一方で、そのミスを鬼の首を取ったように叩く周囲の姿も、同様にとても恥ずかしいものです。
そもそもケーブルを逆に繋いで音を語りその違和感にすら気づかないのであれば、オーディオファンとして最低限の確認すらできていないといってよいでしょう。つまり発信者のレベルが信用に足るものではないということ。適切な試聴音源を揃えていれば一瞬で気づけるはずのことです。
であるならば黙って見切りをつければいいだけの話です。信頼に値しないと判断して離れる。それが自律した大人の振る舞いではないでしょうか。
貴重な時間を使ってどや顔でマウントを取り、嘲笑の材料にする。相手の間違いを糾弾することでしか自分の正しさを確認できないのだとしたら、その人の人間性もとても浅いものに見えてしまいます。こうした攻撃の根底にあるのは、自分の知識や価値観こそが正義だと信じて疑わない、とても傲慢な姿勢です。
今回の騒動に限った話ではありません。オーディオ界隈には他人が気に入っている機種や心血を注いで整えた機材、リスニング環境に対して「それはゴミだ」「間違っている」と平気で言い放つ人たちがいます。そうした振る舞いは本質的に頭が悪いと言わざるを得ません。
オーディオは究極的には、聴いた本人の感性がすべてです。自分の正解を他人に押し付け、誰かの大切にしているものをボロカスに言うことに何の意味があるのでしょうか。
その無意味さを理解しないで他人の感性を踏みにじるマウント文化は、文字通りのゴミのような価値観です。
ミスを認められない臆病さも他人を叩く傲慢さも、このゴミのような価値観や自意識から生まれるとても恥ずかしい振舞いです。すべては音を置き去りにした、幼稚な承認欲求といってよいでしょう。
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ひさしぶりに投稿した記事がこれってどういうことなのよ。
不毛な争いは見て見ないフリするほうが、本来わたしの求める品位だったはずなのにね。
冷徹に見える正論モドキをこうやって文章にしている時点で、わたしも同じ穴のムジナです。ゴミ。
あーあヤダヤダ。本当にしょうもない。
コメント
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コメント (2)









あの件、特にコメントせず静観して追ってたんですが指摘する側も言葉強いし、当人は自分が否定されることを頑なに認めたくないタイプだしでかなり見てて苦しい内容だったと思います。
また、マウント取りに関してですが、自分が持ってるものより安いイヤホンとかに対して平然と「これは評価されてるほど別に良くない!」みたいな意見をする人がそこそこいるように感じます。
オーディオ然り、感覚型の趣味は今回の雑記のようにその人の感性によって評価が決まるものだと思っているので、そういうものに対して否定的な評価をするということは、他の人から自分の好みを否定されても受け入れなければならないということを意味していると思います。
私は絶対嫌ですけどね…。
コメント長々と書きましたが、レビュー楽しみにしてるので気長に待ってます、これからも頑張ってください!
そうですね、いわゆる「撃たれる覚悟のある奴だけだ」ですね。
自分の好きとおなじように、ほかの人の好きも大事にしたいものです。
ありがとうございます。1か月ぽっかり空いちゃうとは自分でも思ってませんでした。そのうち再開しますので、すいません!